今日は恩田陸さんの「蜂蜜を遠雷」の名言を紹介したいと思います。
直木賞と本屋大賞を獲得したこの小説を知っている方は多いのではないのでしょうか。
わたしもスピンオフ含めて読みましたが、この世界観に魅了された一人です。
読んでて思ったのですが、心に響くような名言がたくさんあるんですよね。
なので個人的に好きな名言を20個厳選してまとめてみました。
是非「蜜蜂と遠雷」を読んだ方は見てみてください!
【小説】恩田陸 蜜蜂と遠雷(上) 感想 4人の天才たちの演奏がすごい!
【小説】恩田陸 蜜蜂と遠雷(下) 感想 風間塵による最高のギフト コンクールの優勝者は…!
【小説】恩田陸 祝祭と予感 感想 蜜蜂と遠雷のスピンオフ 本編がより面白くなる!
名言集
世界中、どこに行っても、音楽は通じる。
言葉の壁がない。感動を共有することができる。
あたしたちは言葉の壁があるから、ミュージシャンは本当に羨ましい。
過去に三枝子の友人である作家の真弓が、お互いの業界についての比較話をした際に言ったセリフです。
確かに小説とは違い、音楽は共通言語みたいなものですよね。
だからこそ私たちはいつまでも音楽を魅力に感じるのでしょうね。
彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。
芳ヶ江国際コンクールのオーディションに風間塵が参加する際にホフマンが書いた推薦状の言葉です。
この言葉の真相は物語の後半で発覚しますが、読み始めた頃は、
「風間塵…一体何者なんだ…?」ってドキドキしましたね。
俺はいつも不思議に思っていた。
孤高の音楽家だけが正しいのか?音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか?と。
生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか、と。
このセリフは高島明石が芳ヶ江国際コンクールに参加した動機の1つでもあります。
結果的に明石は菱沼賞を獲得したということもあり、プロの演奏が全てじゃないということを証明しました。
夢中で拍手をしながら、満智子は心の中で呟いた。
あたしは音楽家の妻だ。あたしの夫は、音楽家なんだ。
第一次予選で明石が演奏を終えた後の妻である満知子のセリフです。
明石は家庭を持っているということもあり、練習時間を十分に作れなかったり、何度も挫折したりなど、コンクールに出場するまで相当苦労をしたんですよね。
それを乗り越えてやっと本番に望めたということを考えると、このセリフで思わず泣きそうになりました…
世の中には現れた瞬間にもう古典となることが決まっているものがある。
スターというのは、それなんだ。
ずっとずっと前から、観客たちが既に知っていたもの、求めていたものを形にしたのがスターなんだね。
栄伝亜夜が演奏をする前のマサルを見た時にふと思い出した綿貫先生のセリフです。
まさにマサルがその通りでしたね。亜夜と塵を差し置いて優勝したくらいですから、彼は本当にスターそのものでした。
体験。これはまさに体験だ。
彼の音楽は「体験」なのだ。
第一次予選でマサルが塵の演奏を聴いた際のセリフです。
マサルでさえ塵の圧倒的な演奏に驚いたようですね。
一次予選の塵の演奏は狂気的な描写となっており、個人的に好きでした。
見よ。今、舞台の上にいるのは、音楽を生業とすることを生まれながらに定められた、プロフェッショナルなのだ。
明石が第一次予選で亜夜の演奏を聴いた時のセリフです。
亜夜はブランクがあっても全く演奏に衰えを感じさせず、他の演奏者に格の違いを見せつけましたね。
ああ、やはり、ここが俺の場所だったのだ、この瞬間を求めていたのだ、家族を愛し、日々の生活を送りながらも、心はやはりこの場所を求めていたのだ。
第二次予選の演奏に臨む明石のセリフです。
明石は家庭を持ち、日々仕事に明け暮れていても、心の中で音楽家という夢だけは持ち続けていたということがわかります。
音楽は、常に「現在」でなければならない。
博物館に収められているものではなく、「現在」を共に「生きる」ものでなければ意味がないのだ。
綺麗な化石を掘り出して満足しているだけでは、ただの標本だからだ。
過去に塵に向けて言ったホフマンのセリフです。
時代によっても音楽というのは様変わりしてしまいますからね。
なかなか深いセリフですよね…
今、あたしたちは月まで飛び越えている。
塵と連弾した時の亜夜のセリフです。
ここから亜夜がどんどん覚醒してくるんですよね。
彼女にとって塵と出会えたことは本当に天啓のようだったでしょうね。
音楽は行為だ。習慣だ。
耳を澄ませばそこにいつも音楽が満ちている。
これも過去にホフマンが塵に向けて言ったセリフです。
前の文章からすると、植物などの世話もある意味音楽ということでしょうか。
これもまた深い言葉ですね…
本当に、亜夜は刻一刻と変わり続けている。
まさに彼女は「自由に、宇宙を感じて」いたのだ。
第二次予選の亜夜の演奏を聴いている時のマサルのセリフです。
前述の通り、塵と連弾してから彼女は確実に進化しています。
ただ彼女の成長のきっかけが塵というのは、マサルにとってちょっと複雑な心境ですよね。
あたしはこの瞬間をずっとずっと前から知っていたような気がする。
こうして四人で芳ヶ江の浜辺を、この年この日のこの時間に、冷たい風に吹かれて歩いていたこの瞬間を忘れないだろう。
胸に焼きついたこの瞬間を、四人でここを歩いたこの感じ、他の三人のシルエットを痛いような気持ちで見つめていたこの時を、ずっと覚えているだろう。
第二次予選終了後に塵・亜夜・マサル・奏で散歩に行った時の奏のセリフです。
このノスタルジックな表現が好きなんですよね。
演奏シーンが大半を占める「蜜蜂と遠雷」の中では一番貴重な場面ではないでしょうか。
特に塵・亜夜・マサルの会話は本編ではここくらいしかないので、必見ですね!
音楽家というのは、自分のやりたい音楽が本当に自分でわかってるとは言いがたい。
長くプロとしてやってきていても、自分がどんな演奏家なのかは実は見えていない部分もある。
第三次予選の演奏を聴いている時のナサニエルのセリフです。
自分を理解するということは、意外ととても難しいものですよね。
自分が一番わかっている部分と、相手が一番わかっている部分がありますからね。
これは他にも言えることですよね。
再現性という点では、生け花と同じでほんの一瞬。
ずっとこの世にとどめておくことはできない。
いつもその一瞬だけで、すぐに消えてしまう。
でも、その一瞬は永遠で、再現している時には永遠の一瞬を生きることができる。
塵が富樫に生け花を教わった際に、音楽との類似性があると感じた時のセリフです。
一瞬というのは永遠、逆も然りで永遠というのは一瞬…
もはや哲学の域ですよね…
ここまで生け花の中に音楽を見出せるのは塵くらいしかいないでしょうね。
ー天まで届くような音で
第三次予選の演奏前の調律で塵が頼んだ内容です。
シンプルに、シビれましたね。
ようやく俺はスタートラインに立った。
これからもずっと、あの場所を、音楽を、焦がれて、切望する。
第三次予選の亜夜の演奏直前に思った明石のセリフです。
惜しくも第二次予選を抜けられなかった明石ですが、音楽家になりたいという気持ちは変わらなかったようです。
スピンオフの「祝祭と予感」には登場しなかったのでとても残念ですが、明石の今後も気になるところです。
先生、僕は彼女に負けるかもしれません。
いや、もはや、彼女は勝つとか負けるとかのレベルを超えちゃってます。
もう一人、風間塵なんていうのもいるし。
第三次予選の亜夜の演奏を聴いた時のマサルのセリフです。
マサルにここまで思わせるのは相当ですよね…
それほど三人の実力は並んでいるということですよね。
結局優勝したのはマサルでしたが、正直誰が優勝してもおかしくなかったと思います。
僕たちは、あの蓮の花を、いつまでも咲かせなければならない。
もっと大きな花、もっと無垢で美しい花を。
それが、人間であることに耐えていくよすがであり、同時に報酬なのだ。
本選でマサルが演奏している時のセリフです。
どんなに人間が醜く汚い存在でも、音楽というのはいつだって変わらないものですよね。
音楽を蓮の花に例えるのがとても印象的でした。
いつも聞いていたあの羽音は、世界を祝福する音なのだ。
せっせと命の輝きを集める音。まさに命の営みそのものの音。
この言葉は前述したホフマンのセリフである
「音楽は行為だ。習慣だ。耳を澄ませばそこにいつも音楽が満ちている。」
に通ずるところがありますよね。
まさに「蜜蜂と遠雷」、堂々の締め括りですね。
終わりに
いかがだったでしょうか。
本当は他にもたくさん名言があったのですが、挙げたらキリがないですからね…
「蜜蜂と遠雷」、本当に楽しく読むことができました。
また時間がある時に改めて読み返そうかなと思います!
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【小説】恩田陸 祝祭と予感 感想 蜜蜂と遠雷のスピンオフ 本編がより面白くなる!